2010年9月17日 (金)

夏バテ、夏風邪だあ。

夏バテで食欲がない。

3日間何も食べなかった。

今日になって、やっとうどんをゆがいて、お湯を切り、生卵を落として本だしをかけて食べた。でも半分しか食べることができなかった。

果物ならと洋梨を食べてみた。旨かった。

風邪のせいか、冷や汗がだらだらと出る。

熱がある。

寒いのか暑いのかわからない。

東京は昨日に比べ10度以上も低くなった。こうも気温差が激しいと体が持たんよ。

明日はまたまた30度ほどになるという。

今年はずっとこんな感じだ。

寝込む日の多いこと。

いかんなあ。

2010年8月22日 (日)

猛暑っとだね。

暑いので・・・。

キーボードに触ると火傷しそう。

もう、しょっとで秋がくるのかなあ・・・残暑見舞いではすまないでザンショ!

2010年8月17日 (火)

たんぽぽ

うちの玄関先にはこの春、多くのタンポポが咲いていた。

やがてタンポポは綿帽子となって・・・

近所の4人の子供たちのおもちゃになった。

私は、フェンスから中に入ってもいいから、綿帽子を採っていきなさいと話した。

子供たちは、【タンポポ】「たんぽぽ」『たんぽぽ』たんぽぽ、と喜んで綿帽子を摘み取って行った。

チャイムが鳴った。

「たんぽぽの・・」

そこで切れた。

私には「・・かい」という言葉が聞こえた気がしたが、暑いからなあ・・・私自身が信じられない。

続く・・・わけないか。

タンポポは綿帽子となって飛んでいくのだ。

2010年8月13日 (金)

あれ、なんだったかなあ・・・?

最近は、忘れることが多い。

年のせいかなあ。

テレビの出演者などは、もういけない。

新しい人が続々でてくるので、名前も覚えていない人が消えていくのも多いので、覚えることをしないのかもなあ。

今朝食べたのはなんだったかな?

こんな程度なら、まだいいほうだ。

実は今、なにを書こうとしたのか忘れてしまった・・・のだ、がはははは。

それで仕方なく、こんなことを書いてしまった。

ごめんなさい。

2010年8月 9日 (月)

原爆の日その3。長崎への原爆

今日9日は、65年前に長崎へ原爆が落とされた日である。

当時17歳であった父は、材木を二人で担いでいたんだそうだ。どこでそれを受けたのかは知らないが、爆風で、材木ともに飛ばされたという。

それ以外の話しは覚えていない。

私が長崎の原爆公園(でいいんだよね)へ行ったのは大学のとき。

小学5年のときの印象が怖すぎたので、公園を散歩しただけだ。

☆ ☆

岩国のミツねえちゃんのうちの近くのレコード屋に行った。

すると、旦那さんは、おじいちゃんの言った演歌歌手のLPを買いあさった。

え、そんなに聞く暇が有るのか?

私は旦那さんの、【旦那さん振り」に驚くばかり。

その夜、私は2Fの部屋で一人眠った。

でも、天井の木目が気になって眠れなかった。

あの広島原爆ドームの悲惨な光景が思い出された。木目が被爆者たちのケロイドに見えた。

ビール瓶の口が溶けて、くにゃりと曲がり、密封されたまんまのビール瓶に見えた。

私は恐ろしくて仕方がなかった。

広島と長崎、落とされた原爆はそれぞれタイプが違うそうだ。ウラン型とプルトニウム型だったかな。

ウラン型は実験をしないと製造が難しいとか、しかしプルトニウム型は製造がウラン型に比べ容易だそうで、北朝鮮はこいつを大量に持っているとも聞いた。実験をしなくてもいいということで、工場の設備から憶測するに、保有していると思われるが、その真相はわからない。

パキスタンが大雨の被害で国連やたの国々に、支援を要請している。

パキスタンもまた核保有国ではなかったか?北朝鮮も原爆を作る資金があったのなら、そのお金を、洪水などの対策に充てていればよかったものを。

これはどの国も同じだ。日本も軍事費(防衛費だとは思えない)に回す予算があれば、他に使いようがないのかとも思う。

2010年8月 6日 (金)

原爆の日・その2

これは原爆の日の続きです。

小学5年生の私は、冬だった、おじいちゃんに連れられて博多へ。

たぶん、冬休みではなかったと思うなあ。

私は、学校をサボっておじいちゃんと1週間ほど旅行することになったのだ。

父は私が通っていた学校の教師だったが・・・あははは、いいのかな?

いやあ、良かったんだろうね。

私たちは次女であるミツ姉さんと岩国の旦那さんとで、なぜかわからないけど、阿蘇山へ行った。

冬の阿蘇は寒いぜ。高菜が上手くなるのはこの寒さのおかげかな。

後のことを考えると、おじいちゃんが、「阿蘇山を見てみたい」そういったのだと思う。

なぜなら、「岩国のうちに泊まった時に、だんなさんが質問したのだ」

「お父さんは、どういう曲がすきですか?あ、歌い手さんでも」

「わしはなあ、そうですな、演歌、村田英雄とか、水前寺・・・」

車の中の話をなぜか私は覚えている。

そして、白蛇が祭られている神社の近くの岩国市のだんなさんのうちへ。

ほんとにその神社。賽銭箱みたいな中に、白い蛇がいたのでびっくり。

その3へ続く。

原爆の日

怖かったな。あ、その前にホントに怖かった。助けてくださった皆様、ありがとうございます。

怖かったんです、何が?

天井の木目が、ホントに怖かった。

私は小学5年生で、山口県岩国市のおじさんとこに泊まっていた。

私はじいちゃん、ばあちゃんこで、一族の、男としての初孫だ。

姉こそが初めての孫なんだけど、どうも対馬などの田舎では、島では男の子が欲しかったらしい。

私は可愛がられてたね。

おじいちゃんは、どこに行くにしても私を連れ出した。

まだ記憶がうすら薄らの時分になぜか、若戸大橋を歩いていた。どこにあるのだ?

若戸大橋。たぶん、北九州近辺だと思うが。

そのおじいちゃんが、次女が結婚した相手に、お祝いでと(らしい)旅行に誘われた。

じいちゃんは出来た人で、言ったらしい。

「ちよ君と一緒なら、行きますよ」

ぁ、ちよ君は私のことです。

続く。

2010年8月 3日 (火)

ガリガリ君ソーダを食べている

テレビの特番で【ガリガリ君】を取り上げていた。

私のFAX,プリンタなどの複合機は2台とも壊れてしまった。どちらも6,7ぐらいの機能があるが、私はプリンタとFAXしか使ってないと思う。

使わないうちに壊れてしまう。だったら、そういう機能はいらないので、壊れないようなものを作って欲しい。

仕方が無いので、青梅街道を渡ったところにあるampmのFAXを使った。

ふと右を見たら、アイスクリームの冷蔵庫なのか冷凍庫なのか。

そこへ、ガリガリ君一族のスペースがあった。しかも入荷したばかりらしい、ガリガリ君ソーダがどっさり。

私ははじめて食べる。

すごい人気らしいが、私にはどうも甘すぎる感じ。

1本62円。

今時62円の大人気商品か、恐れ入った。

しかし、特番の内容では、すごいアイデアが詰まってると思う。

色んな特許が固められて、ガリガリ君になっている。

私は、ここんとこ、ずっと痩せ気味傾向にある。これはいいことだろうか、否。

痩せたと言っても60キロをはあるのだ。

痩せたといわれても、まだウェストは75センチは有るのだ・・・ん、71ぐらいかな?ベルトをすればそのくらいだろう。

去年の今頃のズボンはもうはけない。ブカブカのぶーかぶか。ブカブカ君だ。

捨てると、しかし、太るんだろうなあ・・・それで経済が回るのかも。

2010年8月 2日 (月)

サザエの炊き込みご飯、大失敗

昨日、天草人に伊豆の海水浴みやげにサザエが届いた。

天草人は西のベランダで蚊に刺されながらも、サザエを叩き割った。

そして刺身を造った。

ヘタにくっついている赤い部分が固い。

私は、肝をつぶして醤油に混ぜて、わさびをつけて食べてみた。

白い部分は柔らかく上手かった。磯の香りがいいね。

固い部分は、炊き込みご飯にでもするかと私。

しかし、材料がサザエしかない。ほかに具が無い。

下味をつける、酒もない。

とにかく、固い部分を細かく刻んで、肝をつぶし、みりん、白ダシ(私は昆布ダシを入れようと思ったのだが)、醤油で味付けをした。

米は山口のおじさんたちが造ったモノで、姉が精米し、無洗米として送ってくれたものである。

「え、肝も入れるの?」

「何で、肝を入れたらだめなんだ?」

「見た目が悪いでしょ」

「見た目で食うわけじゃない」

「見た目です」

「じゃあイカ墨ご飯はどうなんだ」

「そんなもの知らない」

私は棚から、「イカ墨ライス」と書かれた、パックを見せた。

「これはどうだ、真っ黒じゃん」

なんだか私は、作る気がなくなった。

こりゃあ、責任払いだな・・・きっとまずい。全て私が食べなければならないだろう。約400CCの米である。2,3食分だと考えればなんとかなるだろう。

もうどうでもいいやと、米と肝などで味付けしたサザエをいれ、シャトルシェフに任せた。

少し水が多かったかな。

やはり、自信を持って料理に当らないとだめだね。おそるおそるでは、うまいものは作れない。

私が席をはずして部屋に戻り、パソコンを触ってる間に、天草人がシャトルシェフを開け、食べようとしてた。

ぅ、もう1回、火にかけてほしかったのに。最後に水気を飛ばしたい、私の気持ち。

こげを作りたいのである。焦げたところが好きなのだ。

味見をして、混ぜながら、塩加減を調整したい。しかし手遅れだった。

二人は「上手い、磯の香りがいい」と言ったが、うっすらと緑がかった米は、水気が多く、しかも味が足りない。

「だめだ、こりゃ。塩をかけないと。だめ、失敗だ」

私は冷凍して、今朝食べてみた。

やはり、だめだ。

私は博多とんこつラーメンをおかずにして食べた。ま、こんなもんか・・・。

2010年8月 1日 (日)

口蹄疫に負けるな、と宮崎県の冷汁に兆戦

冷蔵庫の中で、冷汁のパックを見つけた。

口蹄疫で多くの牛や豚を堵殺処分にしなければならなかった、あの宮崎県の名物である。

新宿南口の前に広島県のアンテナショップと並んで、宮崎県のアンテナショップがあった。

今もあると思うけど、私が最近行ったのは、まだ私の会社が同じく南口の高島屋、サザンテラス?だったかなの向かい、1Fがスタバになってるビルの10Fにあった頃だ。もう10年は昔の話。

すごくまずいと思った。

宮崎県人の友達は、「すんげえ、うまかっちゃがよお」と言ってたが、冷えた護摩仕立ての味噌汁をご飯にかけ、きゅうりの輪切りや焼き魚の身をほぐしたものを上に乗せたものではなかったかな?

まあ、いろいろだろうね。

しかし、私が見つけたそれは、賞味期限が2年も前の、長期間寝かせたものである。

きゅうりも焼き魚もなかったので、冷奴を混ぜてみた。白ゴマが有ったので、ふりかけた。

そこへ、ポン酢をかけた。

ほ、ほ、ほ。うまーい、ではないか!

ふくよかなゴマの味が舌に残る。冷えた豆腐が護摩と味噌に良く合う。

やはり、2年も余計に寝かせたのが功を奏したのだろうか。

ま、ものはいいようだね。

これで少しは、宮崎県の応援になっただろう、私は地域、地域を忘れない。なにやら選挙にでも打って出るつもりかああああぁぁぁ・・・。

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