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2010年8月22日 (日)

沖縄、興南高校、優勝!おめでとう!!!

すごかったねえ、沖縄、興南高校。

準決勝では、まさかと思った逆転勝ち。

6点差を跳ね返したからねえ。

それにしても凄まじい・・・猛暑が幸いしたのか、

ぁ、失礼。

打撃もすごい、守備もすごい、

そして投手の島袋。

監督の采配も。

いやああああ、この猛暑の中、沖縄、政治的にも揺れ動く中、たくましいね。

テレビの解説もインタビューの受け答えにも、いっさい政治とか防衛には声を出さず。

でも、私は言って欲しかったなあ・・・さんごしょう。

最近相次ぐヘリコプターの墜落事故、これはなにを意味するのか?

「沖縄県民の応援のおかげで優勝できました!」

だけではなく、・・・・うーん、難しいなあ。

私に限らず、沖縄県民でもなく応援してたんだぞ!っと。

そんなことはさておき、沖縄、優勝おめでとう。しかも春夏連覇だからなあ。

私も暑さ真っ盛りの中、PL-明徳義塾の試合、史上最高の人での中、そこにいたことがある。

あの日も暑かった。

この決勝戦、試合が終わってもまだそこで閉会式を見守っていた人々も、

・・・またすばらしい。

私はあの日のことを思い出して、ぐっ!ときました。

猛暑っとだね。

暑いので・・・。

キーボードに触ると火傷しそう。

もう、しょっとで秋がくるのかなあ・・・残暑見舞いではすまないでザンショ!

2010年8月17日 (火)

たんぽぽ

うちの玄関先にはこの春、多くのタンポポが咲いていた。

やがてタンポポは綿帽子となって・・・

近所の4人の子供たちのおもちゃになった。

私は、フェンスから中に入ってもいいから、綿帽子を採っていきなさいと話した。

子供たちは、【タンポポ】「たんぽぽ」『たんぽぽ』たんぽぽ、と喜んで綿帽子を摘み取って行った。

チャイムが鳴った。

「たんぽぽの・・」

そこで切れた。

私には「・・かい」という言葉が聞こえた気がしたが、暑いからなあ・・・私自身が信じられない。

続く・・・わけないか。

タンポポは綿帽子となって飛んでいくのだ。

なに?関東一と早実?夏の高校野球、甲子園より③

なんじゃ、これは。

東京の東と西とがやっている。

早稲田実業と関東一の試合。

今大会は、例えば九州勢(大分ー宮崎)、近畿勢(大阪ー奈良)などと隣り合う県、もしくは近くの戦いが多い。

いつも練習試合でやっているのではないか、面白くはないだろうなあ・・そう思ってしまう。

やはり、初戦は以前どおりに、東日本と西日本でやってほしかったなあ。もっとも、そのハザマの県は・・・。ここに高野連・・・の高野連たるゆえんがあるのでは?

普段出来ないチームとしあいをさせてやれないものかね?

わざわざ、甲子園まで来ているのだからなあ。

現在、関東一が3点を取って勝っている。3-0だ。

あああ、早実が2点を返してる。げ!

こんなことを書いてる暇じゃないぞっと!

3回の裏に3点、4回の表に2点。

早稲田実業と関東一は2-3で、4回の裏を迎えるところ。

2010年8月14日 (土)

九州勢全勝?夏の高校野球、甲子園より②

勝った、また勝った。

13日の甲子園では、鹿児島実業と九州学院が勝った。

これで、出場した、九州勢は、大分県と宮崎県の同士討ち以外、全部勝ってしまった。

私の記憶では、長崎日大、佐賀学園、西日本短大付属、九州学院、延岡学園、鹿児島実業、興南と、7校も残っているからすごい。

しかも負けた大分工はさよなら負けではなかったか?接戦だったのだから、負けても強かったのだ。

こういうことが今まであっただろうか、少なくとも私の記憶にはない。

明日、長崎日大と佐賀学園とがぶつかるが、どちらかが勝ち残ると思えば気が楽だ。

ただし、どっちを応援すればいいのだ?

私のパスポートには本籍TSUSIMAと書いてある。長崎県である・・・まさかね。

でも長崎に行った記憶は、中学1年生のときだ。

教師らのソフトボールチームの一団に欠員が出来たとき、私が父に連れられて、島原に行ったのが最初。

以来、大學2年生になるまで、一度も長崎には行ったことがなかった。

一方の佐賀県は大學受験で始めて行った。

大学1年のとき、未成年の飲酒、自転車の2人乗りでつかまったことがある。

名前を訊かれたので「あびるです」と答えたら、おまわりさんが喜んだ。

「あんた、長崎やなか?前にくさ、長崎のアヒルと佐賀のカモとが大喧嘩してくさ(佐賀県には加茂という姓がある)けっこう面白かったとよ」

そう言われて、2人乗りはいかんばい、それだけで見逃してもらった思いでもある。

以来、5年を過ごし、卒業後も元大家さんちに1ヶ月宿泊したり、家庭教師先のうちに泊まりに行ったりで、なじみは佐賀県に分がある。

ならば、佐賀県を応援すべきかもなあ。

佐賀県は佐賀商業、佐賀北と2度も優勝している。長崎はセンバツで1度優勝している。

佐賀北は私がお世話になった家庭教師先の部屋のすぐ北側に会ったので、優勝したのには驚いたものだ。

さて、春センバツで優勝した沖縄興南は確かに強そう。

ドンドン勝ち上がり、ベスト4に九州勢が少なくとも2校は。できれば3校残って欲しいものだなあ。まあ、組み合わせ次第だが。

今年の夏は、とにかく熱い、暑いぜ。

2010年8月13日 (金)

あれ、なんだったかなあ・・・?

最近は、忘れることが多い。

年のせいかなあ。

テレビの出演者などは、もういけない。

新しい人が続々でてくるので、名前も覚えていない人が消えていくのも多いので、覚えることをしないのかもなあ。

今朝食べたのはなんだったかな?

こんな程度なら、まだいいほうだ。

実は今、なにを書こうとしたのか忘れてしまった・・・のだ、がはははは。

それで仕方なく、こんなことを書いてしまった。

ごめんなさい。

2010年8月12日 (木)

まさに野球は2アウトから、夏の高校野球、甲子園より

今日(11日)は面白い試合が多かった、高校野球。

中でも、仙台育英(宮城)ー開星(島根)の試合は球史に残るであろう凄まじさ。

9回の表、3-5で負けている育英の攻撃。(あくまでも記憶である。細かいことは忘れてるので、夢だったのかも。間違いがあるだろうけど、ゴメンネ)

あと一人さえ取れば、甲子園で勝てると思ったはずの2年生ピッチャー白根。

いや、そう思ったのは、別に彼だけではないはずだ。

2アウトランナー無しから、ヒットとデッドボールでランナー二人が塁上へ。ここでタイムリーエラー。1点を返し4-5、まだランナーは二人いる。

さらにレフトを守っていた三瓶がヒットで満塁へと繋ぐ。

この三瓶こそが、後で奇跡をしでかすのだが、そのときは誰もそんなことはわからない。

あと一人さえ取れば、甲子園で勝てると思ったはずの2年生ピッチャー白根だが、なぜワンアウトが取れないのかと、少なくとも4度思ったはずだと私は考えた。

続く打者の打った打球は、センターだったろう、あまり責めないでね、風がやんだか逆風だったか。

外野手は前進し、その打球はランニングキャッチ体勢の彼のグラブに・・・。

アナウンサーが叫ぶ。「捕ったああああ、あ!」

ピッチャーの白根は、思わずガッツポーズ!

だが、打球はグラブの土手あたりに当って・・・ぽとり。

アナウンサーが続けて叫ぶ。「落とした、落としたああ」

白根は、唖然と見てる。まさかと思っただろう。慌ててホームのカバーに・・・。

その前を2アウトなので思いっきり走った二人のランナーが生還する。逆転だ!6-5だ。

しかし、開星もまた同様に2アウトランナー無しから、満塁とした。

なぜ取れない、後一人なのに、育英の投手は同じく考えた。よもや・・・。

次の打者の思い切り振ったバットから放たれた打球は左中間へ。

「やったー、逆転だあああ」

2アウトだから、育英の攻撃ケースと同じだ、満塁の3塁2塁のランナーは嬉々としてホームを目指したはずだ。1塁ランナーはボールが抜けるのを確信してゆっくりと打球を見ながら走ったはずだ・・・逆転さよならだ。

誰しもがそう思った。

しかし、レフトの野手三瓶が、その打球に飛びついたのだ。

歓喜に渦巻いていた開星ベンチ、その他の応援団、やられたあと、悲鳴をあげた育英の応援団、ベンチ。

だが次の瞬間、その歓喜の渦と失意の悲鳴は、ものの見事に反転した。

大ファインプレー!!!!!

アナウンサーが叫ぶ、誰もが叫んだ!

誰もなにを言ったかわからない・・・私もだ。

痛烈な飛球はレフト三瓶のダイビングしたグラブにすっぽりと収まったのだ。

信じられない。

奇跡は起こった。

いくらなんでも、いくらアホウな私でも、こんなゲームはシナリオとして書けないよ。

野球は2アウトから・・・甲子園の魔物がそこに潜んでいた。

2010年8月 9日 (月)

原爆の日その3。長崎への原爆

今日9日は、65年前に長崎へ原爆が落とされた日である。

当時17歳であった父は、材木を二人で担いでいたんだそうだ。どこでそれを受けたのかは知らないが、爆風で、材木ともに飛ばされたという。

それ以外の話しは覚えていない。

私が長崎の原爆公園(でいいんだよね)へ行ったのは大学のとき。

小学5年のときの印象が怖すぎたので、公園を散歩しただけだ。

☆ ☆

岩国のミツねえちゃんのうちの近くのレコード屋に行った。

すると、旦那さんは、おじいちゃんの言った演歌歌手のLPを買いあさった。

え、そんなに聞く暇が有るのか?

私は旦那さんの、【旦那さん振り」に驚くばかり。

その夜、私は2Fの部屋で一人眠った。

でも、天井の木目が気になって眠れなかった。

あの広島原爆ドームの悲惨な光景が思い出された。木目が被爆者たちのケロイドに見えた。

ビール瓶の口が溶けて、くにゃりと曲がり、密封されたまんまのビール瓶に見えた。

私は恐ろしくて仕方がなかった。

広島と長崎、落とされた原爆はそれぞれタイプが違うそうだ。ウラン型とプルトニウム型だったかな。

ウラン型は実験をしないと製造が難しいとか、しかしプルトニウム型は製造がウラン型に比べ容易だそうで、北朝鮮はこいつを大量に持っているとも聞いた。実験をしなくてもいいということで、工場の設備から憶測するに、保有していると思われるが、その真相はわからない。

パキスタンが大雨の被害で国連やたの国々に、支援を要請している。

パキスタンもまた核保有国ではなかったか?北朝鮮も原爆を作る資金があったのなら、そのお金を、洪水などの対策に充てていればよかったものを。

これはどの国も同じだ。日本も軍事費(防衛費だとは思えない)に回す予算があれば、他に使いようがないのかとも思う。

2010年8月 6日 (金)

原爆の日・その2

これは原爆の日の続きです。

小学5年生の私は、冬だった、おじいちゃんに連れられて博多へ。

たぶん、冬休みではなかったと思うなあ。

私は、学校をサボっておじいちゃんと1週間ほど旅行することになったのだ。

父は私が通っていた学校の教師だったが・・・あははは、いいのかな?

いやあ、良かったんだろうね。

私たちは次女であるミツ姉さんと岩国の旦那さんとで、なぜかわからないけど、阿蘇山へ行った。

冬の阿蘇は寒いぜ。高菜が上手くなるのはこの寒さのおかげかな。

後のことを考えると、おじいちゃんが、「阿蘇山を見てみたい」そういったのだと思う。

なぜなら、「岩国のうちに泊まった時に、だんなさんが質問したのだ」

「お父さんは、どういう曲がすきですか?あ、歌い手さんでも」

「わしはなあ、そうですな、演歌、村田英雄とか、水前寺・・・」

車の中の話をなぜか私は覚えている。

そして、白蛇が祭られている神社の近くの岩国市のだんなさんのうちへ。

ほんとにその神社。賽銭箱みたいな中に、白い蛇がいたのでびっくり。

その3へ続く。

原爆の日

怖かったな。あ、その前にホントに怖かった。助けてくださった皆様、ありがとうございます。

怖かったんです、何が?

天井の木目が、ホントに怖かった。

私は小学5年生で、山口県岩国市のおじさんとこに泊まっていた。

私はじいちゃん、ばあちゃんこで、一族の、男としての初孫だ。

姉こそが初めての孫なんだけど、どうも対馬などの田舎では、島では男の子が欲しかったらしい。

私は可愛がられてたね。

おじいちゃんは、どこに行くにしても私を連れ出した。

まだ記憶がうすら薄らの時分になぜか、若戸大橋を歩いていた。どこにあるのだ?

若戸大橋。たぶん、北九州近辺だと思うが。

そのおじいちゃんが、次女が結婚した相手に、お祝いでと(らしい)旅行に誘われた。

じいちゃんは出来た人で、言ったらしい。

「ちよ君と一緒なら、行きますよ」

ぁ、ちよ君は私のことです。

続く。

2010年8月 5日 (木)

行方不明、杉並区の最高齢者の年金受領者

実は私の母も行方が分からない。探すためのIDは僕が決めました、109436です。あるいは312117(難病の弟のために)これさえあれば、僕がいなくても使えますからね。なんのこっちゃ。がはははは。

確かに妹らが母親の面倒を見てるはずなのだが、姉も分からないそうだ。

電話も通じず、手紙の返事もない・・・とか。

母は自分の年金のほかに、父の遺族年金が入る。

ちちはずっと、教師をしていたから・・・交通事故で死んでから、年金は無くなったけど、母には遺族年金が入るのだ。

母は父が死んでから、それまでの痴呆症が激しく進んだ。

僕が東京の新宿で、IT関連の社長をしている、そう言った時の母。

「なーんがね、あんたに社長なんかできようかい、いまの係長で精一杯やろうが」

私はそんな、大それた役職についたことはない。せいぜい、銀行相手のための取締役だ。

「チヨマロ、あんたはやっと、役場の課長になったばかりなんやけんがね、はよう結婚せんね」

私は離婚したばかり、そして新宿南口に会社を構え、父の墓も造ったばかりだった。

この母親はなにを考えているのか?

想像を絶する。

そんなこともあり、杉並区の東京都の最長寿者が亡くなっていたかも?

それで、国内の長寿者が本当に生きているのか?その確認をしたら・・・あららら。

とんでもないことになってるそうだね。

海外からは、「日本は長生きできる国」だとの評判は崩れ去った。

さらに、日本の言うことは嘘ばかりだ、そういうことになるのだろうか?

代議士の秘書さん、僕の会員番号は109436だ。忘れるんじゃないよ。

2010年8月 3日 (火)

ガリガリ君ソーダを食べている

テレビの特番で【ガリガリ君】を取り上げていた。

私のFAX,プリンタなどの複合機は2台とも壊れてしまった。どちらも6,7ぐらいの機能があるが、私はプリンタとFAXしか使ってないと思う。

使わないうちに壊れてしまう。だったら、そういう機能はいらないので、壊れないようなものを作って欲しい。

仕方が無いので、青梅街道を渡ったところにあるampmのFAXを使った。

ふと右を見たら、アイスクリームの冷蔵庫なのか冷凍庫なのか。

そこへ、ガリガリ君一族のスペースがあった。しかも入荷したばかりらしい、ガリガリ君ソーダがどっさり。

私ははじめて食べる。

すごい人気らしいが、私にはどうも甘すぎる感じ。

1本62円。

今時62円の大人気商品か、恐れ入った。

しかし、特番の内容では、すごいアイデアが詰まってると思う。

色んな特許が固められて、ガリガリ君になっている。

私は、ここんとこ、ずっと痩せ気味傾向にある。これはいいことだろうか、否。

痩せたと言っても60キロをはあるのだ。

痩せたといわれても、まだウェストは75センチは有るのだ・・・ん、71ぐらいかな?ベルトをすればそのくらいだろう。

去年の今頃のズボンはもうはけない。ブカブカのぶーかぶか。ブカブカ君だ。

捨てると、しかし、太るんだろうなあ・・・それで経済が回るのかも。

2010年8月 2日 (月)

サザエの炊き込みご飯、大失敗

昨日、天草人に伊豆の海水浴みやげにサザエが届いた。

天草人は西のベランダで蚊に刺されながらも、サザエを叩き割った。

そして刺身を造った。

ヘタにくっついている赤い部分が固い。

私は、肝をつぶして醤油に混ぜて、わさびをつけて食べてみた。

白い部分は柔らかく上手かった。磯の香りがいいね。

固い部分は、炊き込みご飯にでもするかと私。

しかし、材料がサザエしかない。ほかに具が無い。

下味をつける、酒もない。

とにかく、固い部分を細かく刻んで、肝をつぶし、みりん、白ダシ(私は昆布ダシを入れようと思ったのだが)、醤油で味付けをした。

米は山口のおじさんたちが造ったモノで、姉が精米し、無洗米として送ってくれたものである。

「え、肝も入れるの?」

「何で、肝を入れたらだめなんだ?」

「見た目が悪いでしょ」

「見た目で食うわけじゃない」

「見た目です」

「じゃあイカ墨ご飯はどうなんだ」

「そんなもの知らない」

私は棚から、「イカ墨ライス」と書かれた、パックを見せた。

「これはどうだ、真っ黒じゃん」

なんだか私は、作る気がなくなった。

こりゃあ、責任払いだな・・・きっとまずい。全て私が食べなければならないだろう。約400CCの米である。2,3食分だと考えればなんとかなるだろう。

もうどうでもいいやと、米と肝などで味付けしたサザエをいれ、シャトルシェフに任せた。

少し水が多かったかな。

やはり、自信を持って料理に当らないとだめだね。おそるおそるでは、うまいものは作れない。

私が席をはずして部屋に戻り、パソコンを触ってる間に、天草人がシャトルシェフを開け、食べようとしてた。

ぅ、もう1回、火にかけてほしかったのに。最後に水気を飛ばしたい、私の気持ち。

こげを作りたいのである。焦げたところが好きなのだ。

味見をして、混ぜながら、塩加減を調整したい。しかし手遅れだった。

二人は「上手い、磯の香りがいい」と言ったが、うっすらと緑がかった米は、水気が多く、しかも味が足りない。

「だめだ、こりゃ。塩をかけないと。だめ、失敗だ」

私は冷凍して、今朝食べてみた。

やはり、だめだ。

私は博多とんこつラーメンをおかずにして食べた。ま、こんなもんか・・・。

2010年8月 1日 (日)

口蹄疫に負けるな、と宮崎県の冷汁に兆戦

冷蔵庫の中で、冷汁のパックを見つけた。

口蹄疫で多くの牛や豚を堵殺処分にしなければならなかった、あの宮崎県の名物である。

新宿南口の前に広島県のアンテナショップと並んで、宮崎県のアンテナショップがあった。

今もあると思うけど、私が最近行ったのは、まだ私の会社が同じく南口の高島屋、サザンテラス?だったかなの向かい、1Fがスタバになってるビルの10Fにあった頃だ。もう10年は昔の話。

すごくまずいと思った。

宮崎県人の友達は、「すんげえ、うまかっちゃがよお」と言ってたが、冷えた護摩仕立ての味噌汁をご飯にかけ、きゅうりの輪切りや焼き魚の身をほぐしたものを上に乗せたものではなかったかな?

まあ、いろいろだろうね。

しかし、私が見つけたそれは、賞味期限が2年も前の、長期間寝かせたものである。

きゅうりも焼き魚もなかったので、冷奴を混ぜてみた。白ゴマが有ったので、ふりかけた。

そこへ、ポン酢をかけた。

ほ、ほ、ほ。うまーい、ではないか!

ふくよかなゴマの味が舌に残る。冷えた豆腐が護摩と味噌に良く合う。

やはり、2年も余計に寝かせたのが功を奏したのだろうか。

ま、ものはいいようだね。

これで少しは、宮崎県の応援になっただろう、私は地域、地域を忘れない。なにやら選挙にでも打って出るつもりかああああぁぁぁ・・・。

そうめんで慰めてもらおう

ちょいと買い物をしたので、銀行に支払いに行った。

しかし、その銀行には私は預金していないので、カードも通帳もない。

銀行営業日じゃないと、現金振込みは出来ないことを、痛感させられた。

いったいどういう了見で、こういうシステムになったんだ?

すると銀行は言うだろうね。

「ばかやろう、こうして、土日にも夜まで明けてやってるだけでもありがたく思え!」

私は、悔しかった。

昼間は暑いので、夜に支払いにいこうと思ってた。

ちょいと夜過ぎたかなあ、私は講座のある銀行へと向かった。幸いカードを持っている。

しかしだ、私は現在病中にある。

歩くのが極めて遅い、普通に歩けない状態で、おばあちゃんや子供にもおいていかれるしまつ。老いたかなあ。

やっとの思いで銀行についたら、なんと、シャッターが降りてるではないか?

え、時計を見たら(私は時計を持ってないので、街路の時計だ)9時を少し回ってる。

がががががあああああーん。

ええええぇぇぇ・・・えーん。営業日じゃないと、夜は9時までなのおおおぉぉぉーん。

私は汗だくになって、部屋までたどり着いた。

何しに出たんだ?

タオルで汗を拭い、扇風機で体を乾かしながらテレビを見てたら、ノックの音。

「そうめん食わんか?」

キッチンには、呼びに来た天草人以外に、犬飼のOとその飼い犬がいた。

「暑そうやなあ、やっぱり、まあ、食えよ」

テーブルの中央には、ざるに入ったそうめんがあった。

私はバテ気味で食欲がなかったが、わさびを利かせたら、食べる気になった。

「銀行は、そうなんだよなあ、コンビニに行けばよかったじゃないか?」

「いや、あそこのコンビニもだめだった」

そうめんを食べながら、私は悔しさを思い出していた。

「あーあ、明日は日中に出歩かなきゃならんなあ、暑そうだ」

そのセリフをそうめんで絡めて飲み込んでしまいたかった。

二人は明日、急遽入った仕事らしい。朝早くから仕事に行くのだそうだ。

今の時期なら、早く出たがいいと思うが、この国はなぜ、サマータイムを実施しないのだろう?

エコだ、エコだと騒ぐわりには、政治家は誰もサマータイムを話題にしない。

影裏では話したり、もしかしたら、密かに計画が進んでるのかもしれないが、各企業がエコ騒ぎで儲けようとしているのに、国会は景気を回復させるため、消費促進のためにだけしか、エコについて取り組まない。

国会でしか決めることの出来ないことについて検討すべきではないか、車の販売のエコ割引(補助金かな)はもうじき終わるのだそうだが、サマータイムを実施すれば、また違った消費も生まれるだろうになあ。

私は、固まりかけたそうめんをほぐしながら、国会のねじれみたいになってしまったなあ、そうめん君、ごめん、そう思い、そうめんを飲み込んだ。

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