天安門事件
この事件のとき、私が所属していた会社には二人の中国人研修生がいた。中国人といっていいのかむしろ北京人、上海人というのがふさわしいだろう。何しろ二人の会話は通じないのだ。
驚いたね。
その二人にソフトウェアを教えねばならない。どちらもその地域のエリートである。私なんぞが。
その彼らが、腕に黒い・・・ハンショウとかをつけている。どの字かわからない。反証、範唱、・・・たくさんあるね。
その天安門事件のおかげで、中国、西安の仕事が終わらずに、私が代わってタイの仕事を引き受けることになった。
7日で終わる予定だった。
だがとんでもない。
大T芝さんとあろう方が、驚いたね、コンピュータにヒューズがないのだ。
え。
通電しませんよ。
あんたら、これで輸出したの。
どういう仕組み。
プログラムもなんもあったもんじゃない。
全部作り治しだ。
設計図もみんなでたらめ。
それで、2ヶ月かかった。
ばかばかしい、そう思ったが、おかげで私はタイに2ヶ月いることができ、800万円を。
多くの大T芝の社員、外注さんはクリスマスには帰りたい、そう言ってたけど、私は嫁さんをほったらかしながら、タイの正月も見たかった。
しかし、意地がある。
私の造ったソフトにバグ(不具合)はない。
私はプリンタもない環境で、自分の造った1万行近くのプログラムを暗記していたのだ。おおお、天才級だね。
だから、絶対にハードがおかしい。私はそう言い張るが、周りの目は厳しい。ましてクリスマスには日本に帰りたいのだ。
私はみんなに協力してもらい、土曜日に工場へ来てもらった。
そしてベルトコンベアを動かしてもらう。
2時間、そしたら、ブラウン管が吹っ飛んだ。
「そこ!」
私はベルトコンベアの一部を指した。
ハード関係の外注さんがそこを開けた。
「こりゃなんですか、これじゃあおかしくなるのも無理はない」
大T芝さんは青くなった。
外注さんがそっとささやいた。
「気持ちいいね」
それで私たちはクリスマスまでに帰ることができたのだが、そうか、天安門事件から20年も経ったのだ。
それで、中国は、日本は、何より私はどうなったのだ。


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