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2009年6月 5日 (金)

天安門事件

この事件のとき、私が所属していた会社には二人の中国人研修生がいた。中国人といっていいのかむしろ北京人、上海人というのがふさわしいだろう。何しろ二人の会話は通じないのだ。

驚いたね。

その二人にソフトウェアを教えねばならない。どちらもその地域のエリートである。私なんぞが。

その彼らが、腕に黒い・・・ハンショウとかをつけている。どの字かわからない。反証、範唱、・・・たくさんあるね。

その天安門事件のおかげで、中国、西安の仕事が終わらずに、私が代わってタイの仕事を引き受けることになった。

7日で終わる予定だった。

だがとんでもない。

大T芝さんとあろう方が、驚いたね、コンピュータにヒューズがないのだ。

え。

通電しませんよ。

あんたら、これで輸出したの。

どういう仕組み。

プログラムもなんもあったもんじゃない。

全部作り治しだ。

設計図もみんなでたらめ。

それで、2ヶ月かかった。

ばかばかしい、そう思ったが、おかげで私はタイに2ヶ月いることができ、800万円を。

多くの大T芝の社員、外注さんはクリスマスには帰りたい、そう言ってたけど、私は嫁さんをほったらかしながら、タイの正月も見たかった。

しかし、意地がある。

私の造ったソフトにバグ(不具合)はない。

私はプリンタもない環境で、自分の造った1万行近くのプログラムを暗記していたのだ。おおお、天才級だね。

だから、絶対にハードがおかしい。私はそう言い張るが、周りの目は厳しい。ましてクリスマスには日本に帰りたいのだ。

私はみんなに協力してもらい、土曜日に工場へ来てもらった。

そしてベルトコンベアを動かしてもらう。

2時間、そしたら、ブラウン管が吹っ飛んだ。

「そこ!」

私はベルトコンベアの一部を指した。

ハード関係の外注さんがそこを開けた。

「こりゃなんですか、これじゃあおかしくなるのも無理はない」

大T芝さんは青くなった。

外注さんがそっとささやいた。

「気持ちいいね」

それで私たちはクリスマスまでに帰ることができたのだが、そうか、天安門事件から20年も経ったのだ。

それで、中国は、日本は、何より私はどうなったのだ。

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