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2007年2月 8日 (木)

ときわ台の人身事故

とんでもない事件がおきた。私は耳を疑った。

「トキワダイ?」Cimg0316

「トキワダイって、あの常盤台のことか?」

私が1年半前から50日間ほど入院していた病院に行く時に使った、東武東上線ときわ台駅のことではないか。

まさかだろう。あそこの交番のおまわりさん?

産経新聞からそっくりそのまま、赤字で見てみよう。

 「止まれ、止まれ」と叫ぶ警察官。そこへ突っ込む急行電車-。6日午後7時半ごろ、東京都板橋区南常盤台の東武東上線ときわ台駅前踏切で、「死にたい」と叫んで線路内に入った同区内の女性(39)を助けようとして、警視庁板橋署常盤台交番の宮本邦彦巡査部長(53)が電車に巻き込まれた。
自らの命を絶とうとした女性を救った宮本巡査部長は、意識不明の重体という。

どういうことなんだ。これはなに?実は私はこの駅から歩いて10分かからない程度の病院に入院させられていた。

その病院は病院名の上に「内科・精神科」とあった。看板その他ピンク色が目立つ病院で、窓には鉄格子、そしてトタン板が目隠しとしてあった。

なぜ、俺の隣に、インド人が寝ているのだ?おまえの部屋は廊下の向かいの部屋だろう。

よく見たら、そいつは違っている。聞けばスリランカ人である。

私は1階のナースセンターの前の部屋に入れられていたのである。

ここはどこか?私の左腕には天敵のチューブが繋がっていて、驚いたことに、陰部の先にもまたチューブが刺さっており、その向こうにはタンクがあり、尿がたまる仕組みになっていた。

向かいには部屋の壁を蹴りまくり叫ぶ男がいた。スリランカ人もあわせて叫ぶ。さらに、行ったり来たりするだけの男がいる。
 
ここは。キチガイの集まり、精神病院じゃないのか、しかも8人部屋である。なぜ?
 

警視庁や目撃者の話などを総合すると、宮本巡査部長は交番勤務中に、「線路内に入り込んだ女性がいる」と通行人から通報を受けた。現場で「死んだっていい」と大声を上げて抵抗する女性をいったんは保護して交番に連れてきた。
私は間借りしている家の風呂に入っていた。お湯を抜き、立ち上がろうとして、滑ってしまい、右手で、手すりを掴んだが、体はそのまま後ろへ倒れ、後頭部を強く打った気がした。

喉が渇く。起きたら、起きたら、ビールが飲める。それまで我慢だ、と夢を見ていたのだ。

それが、キチガイの中に入れられている。どうなってるの?

 しかし、女性は逃げ出し、警報機が鳴っている踏切内に侵入。「危ない、こっちに来い」。宮本巡査部長は叫んで線路内に入っていった。
私はナトリウムの体内の量が半端じゃなく、いつ死んでもおかしくないという。肝臓は完璧にやられてるらしく、ガンマGTPは600を軽く越えている。まあ、私にすれば普通である。だが、私はアル中と診断され、内科の病院へ入れられるはずであった。だが、ベッドがないという。あったのが、このキチガイだらけの病院だった。だが看板には「内科」の冠がある。それでここに運ばれたのだろうと都合よく考える。後で知ったが、ここはキチガイ600人ほどが入院できる大病院で個人病院だというから惧れいる。

 ピンク色のバッグを振り回す女性の腕をつかんで引きずり出そうとするが、女性はしゃがみ込んで抵抗。まもなく急行電車がパーンと警笛を鳴らしながら接近してきた。

 「止まってくれ、止まってくれ」

 宮本巡査部長は叫びながら電車に向かって大きく手を振り上げながら怒鳴った。

私は冗談じゃない、助けてくれと頼み込んだ。気がついたのは運び込まれて5日目だという。だがこれは、点滴の中に睡眠薬ないしは精神安定剤が混入されていたからだろう。

私は看護婦らの言うことをメモし、全てを反論の材料にして、悪魔の巣窟みたいな部屋から、2階へと移された。

ここは暴れる患者はいなかったが、おかしな行動や、漏らしまくる患者で溢れていたし、健忘症なのか、すぐに忘れるやつや、夜中にベッドに立ち上がり、ベッドの頭上にある衣装だなを観音開きし、拍手をうち、相撲の四股を踏むもの、もう大変だった。

ヘルパーももう麻痺してたのだろう、漏らしてないかオムツに手を突っ込み検査するのだが、異常なしと出て行く。

「待ってよ、dとfとhの3人はもらしてますよ」

「今検査して大丈夫だったよ」

「うううん、絶対に漏らしてる」私は言い張った。

「あら、本当だ」

もうみんながおかしいのだ。

 女性の肩をつかみ、なんとか線路から引き出そうとする。「温厚でまじめな人柄」(板橋署)の宮本さんは必死だった。

 2人は踏切に隣接するホーム脇にいたが、間に合わないとみて宮本巡査部長が女性を背後から抱きかかえるようにして、「(ホーム下に)入れ」と大声をあげ、押し込もうとした。その瞬間、急行が急ブレーキをかけながら通過していった。

私は、3階へ移った。もう2階の一番おとなしい部屋といわれたところだったのに、みんなおかしくなったので、私はがまんができなかったのである。その間もただの食事だけで、診察や治療はない。しいて言えば、肝臓患者用の食事とアルバミウムとかいうジュースみたいなのがついたぐらいだった。はじめ三分粥が五分、七分となっていった。だがこれも私が抗議したからだ。

 警察官は危険と隣り合わせの職業だが、今回のケースは、あまりにも心が痛む。意識が戻ることを願わずにはいられない。

[産経新聞社:2007年02月07日 17時26分]

やがて、このままじゃだめだということがわかった。入院する条件として2ヶ月間は入院するとの約束が合ったらしい。ばかな。

私は暇だから本ばかり読んでいた。「ベルリンの秋」という本に出合えたのは救いだった。「興亡のイージス」とかも読んだ。

そして、看護婦の似顔絵を描いた。パンフレットを持ってこさせ、院長の似顔絵も描いた。みんな喜んだ。

ここからが肝心である。院長が通ったときに、言ったのだ。

「自宅に帰ると、もっと大きく、水彩だけど色もつけられるんだけどなあ・・・きっと凄くきれいになるよ」

すでに、私の似顔絵は院内の看護士、その他で評判だったし、院長自身もまんざらではなかったようす。

かくて私は、10日であるが退院が早まったのである。ふー。

そして自宅に戻れた私は彼女たちの絵を水彩で描いた。

その時使った駅が事故のあった駅であり、側に交番があって、病院の場所を尋ねたのである。もしあの人だったら・・・ひどいよ。

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